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株式会社十八楼

若女将 伊藤知子さん

観光ホテルから老舗旅館へコンセプトの大転換
揺るぎない歴史と岐阜の文化に宿の強みを見出す

部屋さえ用意しておけば、
常に満室になった高度成長期

―― 今や岐阜を代表する老舗旅館として確固たる地位を築き上げていますが、かつては大型観光ホテルというポジションでの時代があったと聞きます。どのようにして、老舗旅館として変貌を遂げていったのでしょうか?まずは十八楼に入社した当時の状況について教えてください。

伊藤 「家業を手伝ってくれないか」と言われて、東京の大学を卒業して、岐阜に戻ってきたのが今から約15年前です。当時は、すでにバブルが崩壊した後で、価値を見いだせないものに対しては徹底的にコストを見直す時代に入っていました。十八楼のように、単に規模が大きいだけで特徴のない宿は苦戦する時代になっていました。

私は体験していませんが、1970年代からバブル時代にかけては、建物を増築した翌日からお客様からの予約がひっきりなしに入る勢いがあったそうです。祖父の代になると、木造だった宿を7階建てに改装して、宴会場も約20カ所用意するなど、旅館としてではなく、観光ホテルとして拡大路線を続けていました。部屋さえ用意しておけば、いくらでもお客様にお越しいただけるという時代だったようです。


ロビーに設けられた十八楼物語

“できない理由”を見つけて、
毎日がクレームの連続

―― まさに高度成長時代ならではの勢いが感じられますね。

伊藤 はい。でも私が入社したころは、「お風呂が小さい」、「接客が良くない」、「料理は量だけが多い」など、毎日、同じようなクレームでお客様からお叱りを受けていました。当時は女将がいませんでした。時代背景的にも「老舗旅館というと、どうも古臭い」というイメージがあったのでしょう。観光ホテルとして売り出していましたから、支配人制でした。クレームをいただくたびに、支配人がおわびをして、その場はなんとか収めてお帰りいただきます。でも翌日、また同じクレームをいただくという繰り返しの毎日でした。

それまでお叱りを受けなかったのは、お客様の9割が団体旅行だったからです。食事をして、お風呂に入って、とりあえず休むことができれば、それで良かった時代でした。10人のお客様に対して、同じおもてなしで良かったのです。それが個人の好みに合わせて、おもてなしをしなければいけない時代になりつつありました。ところが十八楼は変わっていくことができませんでした。そのため、宿ならではのおもてなしを求めたお客様にお叱りを受けていたのです。


客室からの眺め

―― 時代の変化に対応できていなかったというわけですね。

伊藤 はい。私自身も岐阜に戻ってきたばかりで、十八楼のセールスポイントが何なのか、よく分かっていませんでした。ダンピング競争ばかりが繰り返されて、売り上げも落ちる一方でした。危機感がまったくなかったわけではないでしょうが、毎回、同じようなお叱りを受けても「十八楼は団体旅館だから、そんなことを言われても仕方ないよ」と、できない理由をあれこれつけて過ぎていく。そんな日々が数年間続きました。


お湯処 川の音

「このままでは選ばれない
旅館になってしまう」

―― 変わらなければならないという転機は、どのようにして訪れたのですか?

伊藤 それまでは「私もいつかお嫁に出ていくから」という気持ちもあったのですが、28歳で結婚した時、主人が宿に入ってくれることになりました。時代的にも、女性が主導権を握って、旅を選択する方向に変わりつつある時でした。「このままでは十八楼は選ばれない旅館になってしまう」と危機感もより一層強いものになりました。

私の母は専業主婦で、“女性は家を守るもの”という家訓の中、私自身も家庭的な雰囲気の家でのびのび育ちました。でも、女性の感性がなくても旅館経営ができた時代から、女性の感性が必要とされる時代になると感じ、これまでの支配人制ではなく、女将制を取り入れて、若女将として勉強させていただくことにしました。

改めて十八楼の歴史を振り返ってみると、揺るぎない歴史と岐阜の文化を見出すことができました。当時は創業何年であるかもはっきり分かっていませんでしたが、郷土の歴史研究家の方々にも力を借りて、資料を集めて調べてみると創業が1860年だということも解明できました。観光ホテルから老舗旅館へ大きくシフトすることをコンセプトに宿の改革に乗り出しました。

旅館経営に女性の感性が必要とされる時代

―― 従業員の意識はすぐに変わりましたか?

伊藤 旅館はもともと女性の多い職場ですし、女性の力なくして運営することはできません。これまでの支配人制から女将制に変わって、女性の味方が増えたという思いがあったと思います。

また、当時は本当にどん底で、宿に対する様々なアンケートでも最下位をウロウロするような状況でした。ブランド力がなく、クレームばかりいただく仕事が楽しいはずはないですし、なんとかしたいという気持ちは、みんなが持っていました。ただ、その方法が分からなかったのだと思います。たくさん挙げ続けてきた“できない理由”を、どうしたらできるようになるかをみんなで考えました。

お客様から喜びの声をいただくことが、
従業員の喜びに

―― 成果は表れましたか?

伊藤 おかげさまで現在では、いろんなアンケートでもトップクラスに選ばれるようになりました。改革に取り組み始めて、すぐにトップになったわけではないですが、目に見えて上がってきました。お客様から喜びの声をいただくことが、従業員の喜びにもつながっています。

ハード面は、例えば以前のロビーではソファなどを配置して洋の趣でしたが、和が感じられるしつらえにするなど、時間をかけて少しずつ変えていきました。それに比べて、おもてなしや料理などのソフト面は手を入れやすかったですから、着実に変わっていきました。今は1つでもクレームが来るとビックリするぐらいです。クレームをいただいたときは、何が原因だったかを共有化してすぐに解決に向かいます。


大正時代 十八楼前にて

―― 先ほど、十八楼の強みは、揺るぎない歴史と岐阜の文化だと言われました。 具体的にはどういうことですか?

伊藤 150年以上の歴史があって、宿の名前も芭蕉さんが詠んだ「十八楼の記」にちなんでいますから、ロビーには「十八楼記」の碑文を飾っているほか、投句処を設けて、旅の思い出づくりを楽しんでもらっています。

そして川原町は、岐阜の大動脈たる川湊として栄え、川合玉堂さんを始めとして著名な方々が滞在し、文化が交流した場所です。現在も古き良きたたずまいをそこかしこに残しながら、住民が実際に暮らし、住民の心と心が通うあたたかいまちとして多くの観光客が訪れます。そんなまちのなかにある宿として、より多くの皆様にまちの魅力を知っていただこうと、2年ほど前から川原町ツアーを企画しました。毎日夕方5時から30分ほどのツアーですが、好評をいただいています。

大改革を陰で支えた“カイゼン”

―― 観光ホテルから、個性を生かした老舗旅館へと大改革を成し遂げたわけですが、 その陰にはご主人の協力も大きかったのではないですか?

伊藤 主人は豊田合成出身ですから、あまりにたくさんのムダさ加減にびっくりしたようです(笑)。当時は経営もどんぶり勘定のような感覚でしたし、例えば、荷物も上に積んでいって、また上から取っていく。その結果、下に積まれたままの在庫がいつまでもなくならない(苦笑)。5S、見える化、先入れ先出し、予約情報のイントラ化など、カイゼンを導入したのは、やはり主人の影響によるところが大きいと思います。ただ、サービス分野ですから、取り入れるべき部分とそうでない部分はきちんと話し合って、家族経営的な良さも残しつつ、カイゼンを進めていきました。


時季の蔵外観

―― 最後に、2005年には「長良川温泉女将会」が発足し、 今年2月には「岐阜まんまる女将の会」が設立されました。 活動内容や女将の会に対する思いをお聞かせください。

伊藤 「長良川温泉女将会」発足のきっかけは、30軒以上あった宿が7軒になってしまい、これ以上は減らしたくない。女性の感性で、温泉地全体を盛り上げようという思いからスタートしました。ライバルという一面も当然ありますが、長良川温泉に目を向けてもらわなければならないという思いは共通しています。プライベートでも仲が良くて、良き相談相手という存在です。 大きな特徴は、メンバー7人のうち、実際に女将をしているのは3人で、他の4人は女性社員の方など、一般の従業員がメンバーになっていることです。女将のみで構成している会とは視点も違ってきて、多様な活動ができるのは大きなメリットだと感じています。

「岐阜まんまる女将の会」は、まだ発足して間もないですが、こちらは岐阜県全体の魅力をPRしていこうというものです。女性目線での旅行プランの提案など、皆さんと協力して知恵を出し合いながら、誘客につなげていきたいと思います。

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