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浅野撚糸株式会社

代表取締役社長 浅野雅己さん

累計200万枚突破の高吸水タオル
“魔法の撚糸”の開発により、どん底から再生

繊維産業は衰退し、生産拠点は中国へ
仕事は3分の1に激減

―― 2013年9月に第五回ものづくり日本大賞の経済大臣賞を受賞されました。おめでとうございます。受賞要因になった高吸水タオル「エアーかおる」は、どのような背景から生まれたのでしょうか?

浅野 当社は1993年頃から、複合撚糸の開発を始め、伸び縮みするもの、短繊維や化学繊維などを自由自在に操ることができました。ただ、海外では真似のできない複合撚糸を開発したので仕事は集まってきたのですが、2000年頃にはそれ以上に、国内で機屋、ニット屋が激減していきました。これまで糸を買ってくれた会社が潰れたり廃業して、どこへ売れば良いのか途方にくれました。あらゆる会社が生産拠点を中国に移し、仕事が一気に3分の1にまで落ち込みました。

―― 大変な危機ですね。

浅野 危機どころか、どん底です。父親は「廃業しよう」と言いました。私と家内が外で働けば月に30万円ぐらいの収入にはなるでしょうし、工場の跡地を借りたいという企業もありましたので、不動産収入も見込めました。しかし外注さんが多額の借金を残していました。当社も約7億円に売り上げを伸ばした時期もあって、「今後も売り上げが見込めるから新しい機械を入れたらどうですか」と外注さんに最新式の機械を導入するよう声をかけていたのです。私には責任があります。それで一度、会社の借金を清算して、新しく私のわずかな貯金を元手に、私と家内の保証だけでここまで乗り切ってきました。

ナンバー1では勝てない
世界で誰も真似のできないオンリー1を目指す

―― どん底から、どのように建て直していったのでしょうか?

浅野 当社は複合撚糸の中でも高度なことを徹底的にやりました。多額のクレーム費用も払いましたが、それが当社にとって最高の財産になっています。クレームを起こした原因、解決の方法が当社の財産になっています。

現在、新しい糸を開発中ですが、なかなか成功しません。今朝も社員は「もう無理です」と言います。すでに20回以上、試験を重ねてきました。しかし私は「無理はない。失敗の仕方がある。成功が100点だとすると、今は30点のところまで来ている」と言いました。できないと言ったら、そこで終わりです。「できないと言うな。ダメと言うな」いつも口酸っぱく言っています。「理由は○○だからダメでした」は良いのです。前回の試験と何が違うのか。ダメでも前へ行っているのか、後ろへ行っているのか。例えば、陸上男子100mのオリンピック標準記録が10秒2としたとき、11秒でダメと言っているのか。10秒21でダメと言っているのか。そこの見極めが当社の歴史なのです。

大きなポイントはいくつかありますが、1つめのポイントはナンバー1では勝てない。これまで当社は技術を磨いてきたけれど、市場やコストという切り口で負けました。そこでオンリー1を目指しました。現在も特許には徹底的にこだわっています。現在開発中の糸も特許を申請していますし、現在も特許で守られています。2つめに大事なのは、特許は権利のオンリー1ですが、技術のオンリー1を目指すことです。世界中で誰も真似をできないだろうというものを徹底的に磨きます。3つめは最終製品を持つこと。4つめは市場を支配することです。

テストは1500回以上、タオルの試作は
4000枚以上 引き下がれない執念で開発された
「エアーかおる」

―― 3つめのポイントで挙げられた最終製品を持つという点で、いよいよ「エアーかおる」の開発ですね。

浅野 銀行によるお見合いで、三重県のおぼろタオルさんとの出会いがありました。私がおぼろさんを訪ねた時、社長が交代して1週間後でした。新社長は「3年後か4年後か分からないけれど、おぼろタオルは必ず潰れる。銀行が横を向いた段階で必ず潰れる」と言い切りました。そして「どうせ潰れるなら、何かやって潰れればいい」と続けました。当社もおぼろさんも新商品の開発に会社の命運を懸けていました。両社とも絶対に引き下がれません。でも、糸の開発は本当に難航して、うまくいきませんでした。

ある時、夜の9時頃におぼろさんの幹部から電話がありました。「これから来てくれませんか」。「それでは朝一番で伺います」と答え、朝7時に訪ねました。現場へ行ってみると、きつい撚りが入っているので、整経の機械が動きません。整経の担当者は一言も口を利いてくれません。「一晩中、作業したのだろう」と思いました。幹部から「見てください。夕べ寝ずにやりましたが、この状態です」と言われました。私は「状況はよく分かりました。もうやめましょう」と言いました。すると整経担当者が初めて口を利いてくれました。「俺あきらめへんから。ここまで来たんやからやろう」と言いました。その後、応接室で幹部を前にして、私は「どうしますか。うちはやめません。ダメなら、この足で今治へ行きます。ここまで来ているし、良いものができるのは分かっています。今までかかった費用は、すべてうちで持ちますから」と言って席を立とうとしました。そしたら幹部が「やめるなんて言ってない。今治には絶対に行かせん」と言いました。

―― おぼろタオルさんとの共同開発に、そこまでこだわった理由は何ですか?

浅野 やっぱり最初に井戸を掘った人ですよ。商売の基本です。恋愛と同じで、二股はダメですよ(笑)。でもテストは1500回以上、タオルの試作は4000枚以上に上りました。本当に苦しかったです。

「タオルが1枚1000円!?何を考えとるんや」
1枚と1ダースを間違えて問屋が発注した

―― 大変な苦難を経て、2007年6月に「エアーかおる」が発売されました。当初の売れ行きはどうでしたか?

浅野 発売当初は珍しいから売れましたが、しばらくするとまったく売れなくなりました。いくつか理由はありますが、3つの大きな理由があります。1つは、2007年が完全なデフレだったことです。ある問屋へ行ったら「タオル10万枚持ってこい」と言われました。「ありがとうございます」と言って、契約しようとしたら、先方は1ダースと1枚を間違えていました。エアーかおるは1枚1000円。問屋さんは1ダース1000円だと思っていました。「1枚1000円!?何を考えとるんや。1枚80円と違うのか」。「いや1000円です」。「良いタオルだということは分かる。しかし本当に10倍の違いがあるのか」という時代だったのです。

―― 2つめの理由は何ですか?

浅野 プレスリリースしたのが6月。ギフトショーなどに出品して、売り上げは順調に伸びていきました。しかし2年後の9月からガクンと売り上げが落ちました。それからは下がる一方です。12月に銀行の支店長が当社に来ました。「社長、ここまででしょう」と言われました。つまり、よくある“ブーム”だということです。

―― 3つめの理由は何でしたか?

浅野 「エアーかおる」良いタオルだということは分かります。しかし各家庭で新品の在庫が一番多いものがタオルなのです。マイクロファイバーのタオルは売れました。それは各家庭にないからです。「試しに一度使ってみよう」という気になります。ところが当社のタオルは綿100%です。吸水性が良いというタオルは世間にごまんとあります。その壁が破れませんでした。

でも引き下がれませんから知恵を出しました。翌年2月のギフトショーで勝負に出ました。「吸水性が良いのだからバスタオルを半分のサイズにして売ってみよう」。全身を拭くことができて、髪の毛を拭くことができて、ターバンにもなる。「エアーかおる エニータイム」です。すると、これが大ヒット。売り上げの9割が「エアーかおる エニータイム」になりました。展示会で6万本ぐらいの受注を決めましたので、おぼろさんに10万本発注しました。でも、おぼろさんは本気にしていなくて1万本しか作りませんでした。蓋を開けたら、できていなくて大騒動になりましたよ(笑)。結局は7月までに10万枚を出荷しました。これまでに累計200万枚を超える大ヒット商品になりました。

奥様の一言をきっかけに
バスタオルの幅を半分サイズにして大ヒット

―― その後は売れ行きも順調に推移していますか?

浅野 今は年間50万枚前後で安定的に推移しています。ある程度、行き渡ったという感覚があると同時に、5年ぐらいの販売を通じて根強いリピーターの方々も多く、「エアーかおる」の良さは理解していただけていると思います。息の長い商品として成長させていければと考えています。

―― ものづくり日本大賞の経済大臣賞受賞については、改めてどのような感想をお持ちですか?

浅野 まずは本当に多くの方々のサポートがあっての受賞ということで、お礼を申し上げたいと思います。その上で評価理由の1つとして「販売累計枚数180万枚(受賞当時)の大ヒット商品を創出」と挙げられていますが、大きいのはモノを売ったということです。これは糸の開発と同じくらいか、もしかするとそれ以上に難しいことでした。

―― マーケティングという意味では、「エアーかおる」は優れた商品であるにもかかわらず売れませんでした。それがバスタオルを半分サイズにした「エアーかおる エニータイム」を販売したことで大ヒットしました。

浅野 これは家内の一言からなのです。「私は頭に巻きたいから長いバスタオルを作って」と家内に言われて、ロングタオルを作りました。ところが月に2枚しか売れません(苦笑)。4色で各500枚ずつ、全部で約2000枚作りました。その時、経済産業省の指導を受けていたのですが「月に2枚しか売れないタオルが2000枚もあったら、完売するのに何年かかりますか。年間20枚で100年かかります。これを在庫として見るのは、どういうことですか」とこっぴどく怒られました。それで家内に「お前が作れと言ったので作ったら大変な勢いで怒られたよ」と言うと、「あなたね。うちの社員みんな使っていますよ。商品が良いから使っているのです。あなたが売っていないだけです。売りなさいよ」。

そこでバスタオルの幅が半分サイズであることを前面に出し、ロングタオルからエニータイムに名前を変えて、プロモーションビデオも作りました。通販番組で、3000万円分仕込んだところ、わずか30分で売り切れてしまうこともあったほどで、月に2枚しか売れなかったものが、今では月に3万枚を売り上げるようになりました。

―― 最後に、今後の新しい展開について聞かせてください。

浅野 現在、世界に打って出ようということで、大きなプロジェクトが始まっています。最新式の糸を使った1枚1万円を超える、世界に通用するブランドタオルを作ります。これは、ぜひ楽しみにしておいてください。